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この教会での使徒の働きの学びは26章まできました。

この章ではパウロはアグリッパ王の前で弁明をしますが、その内容は自分が無実の罪で捕まっているというものではありませんでした。

その内容はイエスさまのよみがえり、福音についてでした。

パリサイ派などのユダヤ人は聖書を言葉通りに解釈していました。
そして、死者の復活があると信じていました。

パウロもその一人でした。以前のパウロはパリサイ派の教えに忠実でした。もちろん死者の復活も信じていました。

ですが、イエスさまがメシヤでイエスさまが復活されたということはどうしても受け入れられませんでした。

でもイエスさまは憐れみをもってパウロに臨んでくださいました。

パウロは本当はイエスさまこそメシヤであると、心の奥底で確信していたのだと思われます。でも、それを認めてしまったら今までの自分のすべてを否定することになるので、受け入れられなかったのです。

多くの人はそのような理由でイエスさまを拒絶します。聖霊さまの強い迫りを感じて自分は悔い改めなければいけないと感じるのですが、今までの自分を否定したくないために受け入れないのです。

ですが、そのような人々にも救われるチャンスがあるのだと使徒の働き26章では教えています。パウロだって救われたのです。

パウロは暗闇の中にいましたが、光の中にいれられました。そして今度は他の人々を暗闇から救い出し、光の中に導く働きに召されたのでした。

そのことをパウロはアグリッパ王に弁明したのでした。そして、アグリッパ王もパウロの弁明を聞いて聖霊さまの強い迫りを感じたのでした。

でも、アグリッパ王はその場では決断しませんでした。そのあと彼が救われたかどうかはわかりません。特にそのような記録は残されていません。

私たちも決断が迫られる時があります。もし聖霊さまが強く働いて悔い改めに導いておられるなら、その導きに従いましょう。

そして、順調な信仰生活を送っておられるクリスチャンの皆さんはパウロに倣う者となってまいりましょう。

パウロは26章で「この鎖以外は私のようになってほしい。」と語っていました。

パウロの生涯は実に、福音に生きる人生でした。福音に生きていたので、自然と語る言葉が福音になっていたのです。

そのような人生を送らせていただきましょう。

これを読んでいる皆さんに主の豊かな祝福があるようにお祈りします。



 

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